わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

ママチャリと都市論

今日は「都市と自転車」というテーマで迫ってみたいと思います。
ん? なに? ・・・そうだよ。 そのとおりだ。
こういう関心はこんな「購入熱」のある時にしか発生しないものだ。
かつその熱を正当化させるためだけに、ある。で、オレは、とりあえずそれでいいと思います。
今回はママチャリと、それに乗る人々はどんなマインドなのか?
を考えて発展させます。 全国のママ、必読です。(?)
 
fracker.gif  出典
 
 
 
◎序章 都市のダサさ
 
そのまえに、ワタシの都市の話をすこしだけする。
ワタシが今住んでいるのは千葉西部、津田沼というところだ。
京成津田沼」が最寄りだ。で正直、毎日のように思うことがある。
 
千葉ってあか抜けねーなぁ・・・ ということだ。
 
その「アカ抜けなさ」を感じるには「京成西船」駅からJR「西船橋」まで一度歩くだけで、事足りる。
その 京成線←→JR という遍路が、まずもって400mくらいある。
かつ、道なき道、というと大げさだが案内もない中、人々は狭い国道にとびだす瞬間すらある。これほどダサイ連絡経路ってあるか? と毎回歩きながら思う。つまり、歩きながらショックを憶える。
 
「導線デザインのなさ」思慮のなさ。
 
言い分はなんだっていいが、古い町ほどそういうことになる。
この駅に限ったことではないが、だからといって、スマートとは決して言えずダサイ。
そして日本の多くの都市が、このダサさに満ちている。
むろん、東京だって細部は例外ではない。
 
古くから指摘されているのはクルマのために町を創った、という高度成長のハナシ。
その結果どの町もクルマが中心で、田舎へ行けば行くほど国道は中心となり、同じような光景がひろがる。このハナシは指摘されつづけ、また、多くの欧米諸国も似たような状況はずっとつづいている。でも、その「なくならなさ」がつづくのは、経済の論理と、消極的な民意の合わせ技がつづくからだ。
 
今回は都会・郊外のマインドに目を向けてみたい。
行政のダサさではなく、民意について語ってみたい。
そこで、ワタシはとくにママチャリという装置に注目した。で、ママチャリのママたちが都市デザインにブレーキをかけている一因だ、とラジカルに言うつもりだ。
 
 
◎ママチャリは世界語となるか?
 
「ママチャリ」を調べだすと、これが、おもしろい。
まず、ママチャリは英語でも「MamaChari」と分類される。 MAMACHARI
日本発祥の文化である。 おどろきだ。
ヨーロッパ人にはさぞ、Fantastic! に映るのだろう。
あくまで、おもて向きは、ね。起源については、WIKIの「シティサイクル」が詳しいのでそちらで。
 
31_1.jpg 初代KAMAKIRI(…カッコイイ) 出典
 
1980年代初頭、ブリヂストン社がだしたKAMAKIRI(カマキリ)自転車。
これがママチャリの元祖とされている。 そして大流行。
その後、チャイルドシートなど独自の進化。現在にいたる。 以上、おしまい。
 
・・・なんだが、これからはマイナスのことを連ねる。
これが日本発祥の文化だなぁと痛感するには、現在すぐそこの、駐輪場のママチャリを見ればいい。
外置きが公然のルールとされるこの文化では、チェーンは錆びまくり、サドルはスポンジがむきだしである。玄関内に置いた日には家人に怒られるだろう。
「ママチャリは外!」と。 つまり、これはどういうことか?
 
使い捨て文化の権化(ごんげ)
 
なのである。 まちがいなくこれもクール・ジャパンの一面だ。
お気楽に使い捨てられることを前提に、ママチャリはある。あげく、違法で捨てられる個体も数知れずだ。
今はママチャリも1万円をきる時代となり、「使い捨て」への麻痺も総体に感じる。
海外のメディアが感じるような、ありがたみは今の日本にはみあたらないだろう。
1980年代初頭から、日本の大量消費社会ははじまる。 そして、今この国はその麻痺の時代なのである。
 
◎ママチャリマインド
 
ママチャリにのるマインドがどうして(日本の)都市デザインをジャマしているのか、という話だった。
まずもってデザインというものは、「意図する」という意味がある。
つまりデザインとは、あらかじめ、モノを行う前に、計画をたてるということだ。
至極あたりまえなのだが、これはじっさい、むずかしい。
たとえばチャリは、鉄やアルミなどで出来ている。 ざっくり言って、捨てるときは「粗大ゴミ」である。
 
チャリを買う時に、ゴミになる最後の日まで「デザイン」すること。
そんなデザインをアタマにして買う人がどれだけいるだろうか?
 
たいていが、キワキワで「粗大ゴミ券」&回収予約が面倒になる。(オレ含む)
そしてその中の心ない一部の人々は、物体の存在感にも負け、もてあそび、不法投棄してしまうわけだ。
このマインドは原発稼働に似ている。初めから「デザイン」してたか?
(おっと、これはまたの機会。)
たいていの場合、経済の論理が先行する。
ママは家計を支配しているわけで、なおさらである。
ママチャリの運命も、そこで決まってしまう。で、それのみならず、経済の論理は道中も拡大解釈される。心ないママの一部は「歩道」を爆走するのだ。
コドモ抱えてるんだから? 急いでるんだから?
くわしくは知らんが、われ先にと歩道を爆走する。 これもデザイン不足による。
「己がひとたび外に出れば、街の一部である」というデザインがまるでない。
スーパーは逃げないのだし、もっと優雅にいこうよ。とたまに思うわけで、次の章にもつながる。
 
◎エコや教育を唱えるのであれば
 
ママは、エコに熱心なはずだ。
そのうえ、こどもの教育は最大の関心事ではないだろうか。であるならば、自分の乗っているママチャリについても、もうすこし考えてしかるべきである。
 
まず「使い捨て文化の化身」である、という意識に目を向けるべきだ。
そして、そのフレームの素材を考えよう。 ママチャリはたいてい、アルミで出来ている。これがいけない。
アルミは、疲労限度に際限のない材質であることを理解しよう。
使い捨て筆頭素材なのだ。 鉄がいい。 しかし理論ばかりでもしかたないので、ここでこんな視点はどうだろう? 提案したい。
 
たとえばパパのクルマを息子が受け継ぐように
チャリも子供の「憧れの的」にしてみては?
 
たとえばロマングレーのパパがガレージに納まったジャガーを成人になった息子にプレゼントしたとしたら。
 
子 「まじで! 父さん! ほ、ほんとに!?」
父 「はっはっは、よいのだ。大切に使え」
子 「うーーん! ありがとう! 父さん!」
 
こうなる。 父子の麗しいすがたである。
こういうことは、ママチャリでも可能なのだ。
小さい頃の自分を乗せていた、母が大切にしてきた自転車。
 
娘 「ねえ、お母さんのママチャリ、譲って欲しいの」
母 「ふふふ。 どうしたの、急に?」
娘 「うん…」
母 「なに? 言って?」
娘 「赤ちゃんが、できたみたいなの」
 
こうなる。 なんてステキな1ページ。
もちろんここまで引っぱらずとも、高校生のときにでも、それは訪れる。
高校生の息子か娘が、邪険に母のママチャリをあつかったら、はっ倒せばいい。
大切にしていればいるほど、そこに意味は生まれ、その「意味」に子供さえ気になるモノなのだ。ママは外的な教育を騒ぐ前に、自分の背中を見せることが、はるかに我が子に効果的かもしれんのだ。
 
しかし! そのためにも素材に「アルミ」を選んでいてはだめなのだ。
消費社会からは抜け出ない。 ママは、だまってクロモリフレーム!(笑) である!
クロモリ素材のママチャリを買うこと!
 
それを大切に、大切に乗り、子供がそれに憧れるくらいにならないといけません。
鉄だから雨の日は使用をさける! 玄関の中にいれましょう!
玄関の狭さは、ココロの広さだ!
そういう大切にする意識が、個人の性格にも影響する。 ゼッタイに。 高いチャリに乗っている人物、あるいはチャリ好きの人物は、外の世界にもかなり敏感である。
お金をかける、とはそれだけ「気」を遣う、ということ。
同時にクルマも乗るならなおのことだ。「ああ、自分は、じゃまなヤツに映ってないかなぁ・・・」 「アレはオレだ。運転に気をつけよう」
ひとつの意識は次の意識を生む。そして、イイ意味で外の世界が気になってゆくのではないだろうか?
 

mamachari-1.jpg  出典
 
◎ママチャリと都市
 
現実に、安くてかるいからアルミ使いの消費型ママチャリは製造し続けられている。
需要があるから、粛々と創られる。 合わせ鏡である。
しかしあなたは(?)、もう、そこにあぐらをかくような、ずぼらな主婦ではない。
心優しき、生命の母である。 子供に残すという「デザイン」すら手に入れている。
経済論理を少しでも後退させるのは、そんなデザインであり、ラブではないだろうか?
次のママチャリから、少し高くても、長持ちするものを買うこと。 そんなことから、イイ感じははじまる。
都市のデザインにしたって、そういった民意が変わらないと、どこも焦りはしない。
しかし、そんな主婦パワーがかわっていけば、いずれ、ひっくり返ることだろう。
チャリへの視点は、クルマに注がれ、都市に注がれ、街をかえてゆける。
たぶん、そうなるよ。
不法投棄はへり、諸国にも堂々と輸出できる。
本当の意味で「ママチャリ」は世界共通語になるのだ。
そうして、チャリ自体の価値は向上する。 街自体もそれ用に、かわりたいことに気づくだろう。
 
いまアタマごなしに、都市デザインがどうの言っても、実感がないもの。それより、自発的に「本来の豊かさ」を考えた方が、日本の技術ははるかにいきるだろう。
というわけで、心あるママは聞きなさい。
 
ママはだまって、クロモリフレームである。
 
 
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海外で使われる、彼・彼女たちのママチャリが、粗悪品でないことを祈って。
転載します 出典