わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

日本代表を考える 2014夏 Pt.2

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日本終戦も丸2日も経つと、もう、アウト・オブ・デートな感覚がある。
それは即ち「お祭り」ってことなのだろう。ハレならなんだっていいのかもしれない。
露店でやきそば喰ってナンパして、踊れたらいいよ、と。次回もよろしくたのむよ!、と。
だって先ほどチームは帰ってきたらしいが、城彰二のように水をかけられることもなく、平和そのもの。

・・と思ったが、さすがに上の写真にはドン引きする。1勝もできずに帰ってきたのだよ?
平和ではなく、異常だ。



「批判は大会後に。それまでは国民も一丸となってほしい」



とは本田の大会前の言葉。しかし、このメッセージは巧妙に仕組まれた詭弁のようだ。
日本人は終戦の「涙」で水に流せてしまうのだ。それに終われば解散しかなく、結果が上の写真だ。
・・・。というわけで、コロンビア戦と今回の日本代表!
 


◎前半はキリンチャレンジ

岡崎が一点を返して大いに盛り上がったコロンビア戦前半。
日本代表を観ていて久しぶりに楽しかった。

が、コロンビアはスタメン8枚落としの、Bチームである。あれだけスタメン落とせば連携も悪い。
客観的に言えば、そんな相手にようやく一点もぎ取り、ギャーギャー湧いた、ということになる。哀しいが、この認識は重要だ。

前半はキリンチャレンジカップ同等なのである。それをブラジルで開催したに過ぎない。
 
 

◎ハーフタイムのオートマ車

日本はオートマ車だ。こんなことを今は思う。
ペケルマン監督率いるコロンビアは明らかにギアを上げたし、上げられた。
(せいぜい2・3速だったが。)

ハメス・ロドリゲス個人を挙げて「すげーね!」と言うのは簡単だ。が、実際はそう簡単ではない。
いかにハーフタイムでギア(戦略)を上げられるか。この監督のスキルは難しく指摘できないだけ。

 


ハーフタイムの使い方。
ここに監督の腕はでまくる。


出方を観た上で監督が唯一、全選手と接触できるのがハーフタイムなのだから。
対する、ハーフタイム明けの日本はオートマ車の「D」モードのようだった。


このままいけばアト2点くらいいくんじゃね?


という「ノリ」のみの気楽さですーっと入った。結果は、ご存じの通りだ。
なんとなく後半に入った日本はすぐ何もできなくなった。ここで言いたいのは、オートマ車ラク、ということなのだ。
 
しかしそれではレースには勝てないということだ。

緩急(かんきゅう)はなく、燃費も悪い。落とすときはおとす。行くときはあげる。 そのペースのコントロール
そんな当たり前なことをアジアでは出来ても、世界相手にはできない。ここに圧倒的な経験と実力の差を感じる。もっと言うと敵との「対話力」「適応力」の差を感じる。
 
それにオートマというのは機械任せの「受動態」であって、マニュアル車は動かす「意志」である。
日本全体が抱える「オートマ気質のマインド」ってある気がするが、どうだろうか。
日本代表とは、日本の代表。大衆の気質を写す鏡だという側面がある。
 



 
今回の3試合は全ての試合に強烈なメッセージがある。おもしろいくらいに。
 


コートジボワール
世界大会の入り方・フィジカル・恐慌パニック

ギリシャ
全方位の知性・技術の足りなさ・詰めの甘さ

コロンビア戦
親善だと同点も可能・監督の手腕・後半の圧倒的実力差


 
以上をもって、FIFAランキングはある程度以上、正しいことがよくわかる。

日本、47位

はい。ありがとう。全部、全然たらなかったねー。ありがとー。



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貴重なツーショット
 

この3戦の符号性は2006年ジーコジャパンと丸かぶりする。
が、こうして冷静でいられるのは、身体に抗体ができている証拠でもある。


あーあ。またやったな


こう認識できるだけデカい。こんな積み重ねが「経験」という言葉の正体だ。そういう意味では確実に強くなっている。(抗体が。うれしくねー)
足らない所を上げていくほか、ない。
ちなみに今大会の台風の目となったコスタリカ代表FIFAランキング26位。日本より上ですよ。
 
で、イチバンの問題は「どうしたら上げていけるか?」である。
フィジカルはもう上げていくしかない。腹筋はちゃんと六つに割って、ケツ筋ボーン!だ。

でも大会の入り方ピヨリ癖は一筋縄でいかない。「日本人」という性格と密接に繋がっている。
 

 
◎「日本らしさ」というスパイラル

もうとうぶん「日本らしさ」とか「自分たちらしさ」とか、聞きたくない!
こう漏らすサッカーファンはボクの身の回りでも、とても多い。

それくらい掲げたサッカーの要素を見ることがなく、がっかりさせられた。
ピッチの外は自己啓発セミナーか、経済アナリストの詭弁のようだった。
 
よく言われていて、また延々と言われ続けていることは、マスメディアの「祭」のもっていき方だ。
彼らが持ち上げすぎている、と。虚像としての日本代表にはうんざり、という論調のことだ。

しかしもうこれは、彼らが市場原理でモノを考えている以上、見て見ぬフリをする他がないようだ。
サッカーがスポーツから興業にシフトして久しく、この時期経済の屋台骨感は年々増すばかりだ。
で、それにのっかるSNS的ネットコメントの数々も拾ったらキリがなく、ソリューションでもない。


Kikoku-J.jpg
衝撃的すぎて、もう一度貼る



ただ進言したいのは、でも


 
このままなんとなくいくと、お隣みたくなるぞ?
 


ということ。
日本同等に、あるいはそれ以上になんとも言えなかった、今回の韓国代表
お隣韓国のしぼみ具合が今、ハンパない。彼らだって(どの国にも)、自国のメディアによる虚像があり、つまり日本と地理的にも回路的にも一緒。

でね、あんな風に目立たなくなっていくぞ? という危機感を言っておきたい。
スタジアムに轟く黄色い歓声は、それくらい実力がともなわず、痛かった。ああなっちゃうぞ?
観る側も、世界とのキョリを計るのはかくも大事なのだ。
 

 
◎「日本らしさ」というスパイラル Pt2

これからどんなサッカーを掲げるのか。
8年周期のサイクルを経験し、この点について、議論バトル必至だとも思う。

今は日本全体がヒステリー状態で、ディフェンシブでも勝ちたい、に票は動くがここは思案のし所だ。
しかしそれ以上に、本当の選択が日本にはまっている。とにかく「なにもかも足らなかった」わけで、では——


 
 
変わりたいか、どうか?
 
 


という選択がまっている。この選択ほど、日本人が苦手な分野はないんじゃないかな。
苦手すぎるから、終戦後、すっかり美談にしたがる層がいるんじゃないかな?
これは、日本病の一つだ。
 
戦略と人材のグローバル化のもと、3大リーグの開催国は予選で大破した

日本は、グローバル仕様のコートジボワールにフィジカルでも戦略でもまるで歯が立たなかった。
どの国も120%で仕上げる最高峰の国際舞台に勝てない。すぐピヨった。
では、イチから変わらなければ、という中、そもそも果たして、変わりたいのか?
 
 
 
グローバルにいきたいのか?
まずは体格だぞ? そのあと意識改革だぞ?
 
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イイからだすぎるが、敗退していった2選手
 
 
日本選手にもグローバリストは存在する。
中田英寿にはじまり、今は本田長友だ。彼らはグローバリストとして自分を変えてきた側の人々だ。
それにグローバル志向のなか、アジアに属するJリーグはどうなっていくだろうね?
アジア勢は合計12戦闘って、0勝だったのだ


さあ、あなたはどっちがいいだろう?
強くなるには変化が必要、と言うのは簡単だ。
で、どう変わりたいか? まずもって変わりたいのか?


ここに千差万別がある。
よって「日本らしさ」それこそが虚像であると言えよう。それは移ろいやすく、一枚岩でもない
ゆくゆく23名の全てが海外勢でそれも全員マッチョだったら「日本らしさ」はどう説明されるだろう?
 
サッカーとは、本当に社会の縮図であり、代表は現身(うつせみ)なのだ。
 
 
 
そんなこんなで。
じゃあオメーは!? というと。


オレのステートメントは、ピッチに虹をかいてくれよってことだけだ。
それ以外は「対話」で決まる、としか言えない。
 

では!