わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

拉麺元カノ論序説

 
お、お!
 
ワタシは落雷のごとく天啓をうけた。
 
 
ラーメンという行為が、宿命的なアポリア(哲学的難題)であることを・・。
こういう状況はないだろうか。

無性にラーメンが食べたい。

それもコッテコテの家系「●●家」のラーメンが麺カタでたべたい!!、という時が。
 
最後に食してから半年は経つであろうか。

彼は喜び勇んで店へと向かうだろう。

そうしてラーメンをかっ喰らい、ふとスープをすすりながら、こう気づくのだ。
 

 



 
「・・・。かわりばえなか

 ・・前来たのとおんなじ味ずら・・・」

 



 
 
彼は食べたかった。
食べたかったはずなのに、むなしい

前来た時と同じ味に、本来喜ぶべきところで、どこかむなしい。






ワタシはこの現象を《ラーメン元カノシンドロームと名付けた。

彼のココロはそのラーメンを、それ以上に美化しているのだ。まるで別れた異性を美化するように。

彼はついにその再会を果たす。

そしてこう思うのだ、「同じだ」と。なぜ別れたのかを痛感したのだ。

 
 

ラーメンとはバイオレンスである。
彼に現実の脂量をつきつけ、真実を問う。

 


 
 
お、お! ラーメン家から放たれる男たちを、見るがいい!
 

なんと慇懃(いんぎん)に祈るような表情を帯びたことか!


その背広の若者も、その鼠色の大男も。


これでよかったのだ、これで明日も働ける・・。


男たちのその深く哀しき祈りが、今日も背脂を浄化する———
 



 

 
なお無性に生クリームが彼を呼んでいて、クレープを買うも3クチで充分、という派生的命題もある。この「ホイップシンドローム:いまなお続く悲劇の連鎖」はまたの機会に。
 

 
訳者注: (1)「彼」とは a man である。 ワタシではない。 Who am I?