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わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

特集・町山智浩

感想・評論
前回、すこし映画評論家町山智浩氏に触れましたが、それ以来すっかり中毒。
聞きまくってます。 第2次・ウェイン町山ブーム到来です。
第一次はもちろん、90年代も中盤のハナシ。
 
 
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まだ「映画秘宝」が黄色いムック誌だったころのこと。(うわーナツカシイ)
第2弾か3弾の「底抜け超大作」というムックが、それはそれはもう傑作の出来。 爆発的に大好きだった。当時は柳下毅一郎氏と組んでファビュラスバーガーボーイズなんて名乗ってたっけ。《ちなみに、元ネタであろう「ファビュラスベイカーボーイズ」(恋のゆくえ)は見るたんびに「内容忘れる」映画。つまりボクとは相性がわるく、毎回初見だと思わせる「セルフ健忘症映画」》
 
当時の自分の熱狂は「映画秘宝」が月刊誌になるころには失われ、マイナーがメジャーになった気もした。勝手に心の中で「So long, good luck」な気分で、町山氏のその後の活動には触れずに来ていた。で、最近ふと触れ、すっかり揺り戻ったのです。
今回のエントリーはそんな町山さんの録音紹介に終始しつつ、自分のセンセーションを書いていきます。
 
 
さて。 ファンのみなさんによる多くの音声録音がYouTubePodcastで閲覧可能です。
とくに映画評論の奥にある町山氏自身の真摯な姿勢を知るために、ボクは3つの録音を挙げておきます。
 
右向き三角1最も影響を受けた人 (MC小西氏の仕切りは無視して聞いて下さい)
右向き三角1「映画秘宝の歴史」を語る (本人Podcast「第4回特別編」'06年10月)
 
同意の沈黙しかありません。
町山氏のリンク/HUB具合は半端なく、とくにずっと聞いていると自分の魂が「それでいいのかおまえは?」と問われている事に気づくのみならず、引いてはこの、ローカル「日本」の危機を身近に感じるのです。
 
話が多岐にわたり広がってしまうので乱暴に押し込めると「世界は拡散している」。
その拡散する世界であなたはなにを指針に生きていますか?」と町山さんは暗に言い続けています。
 
現在ではラジオに町山さんはよく登場します。というか、メディアに引っ張りだこでしょう。ラジオというメディアはもともと性格が「超・ローカル」。 とくにAM放送は日本の、日本による、日本のための超内向きローカルメディアです。だから町山さんのワイドな視野とズレまくりそこが面白いですが、危機感がとにかく増幅するのです。
 
たとえば、この回。小島慶子さんはハンドリングできていますが、MCによっては無残なもので邪魔しかできません。
 

 
WikiLeaksの歴史と創設者ジュリアン・アサンジの非常にわかりやすいガイドをした’10年8月のOA。
町山氏がここで言いたいのは、人はいずれか、何か依るべき立場に立たないで物事を処理することは不可能ではないか?、ということだと思うのです。 すこし、この回を聞いたボクの感想を書きます。
 
アサンジ氏は「ハック」至上の、表向きは生粋のアナーキストとわかった。
で簡単にはこの放送で、ウィキリークスのポリシー「人権抑圧を暴く」は、招いた結果から台無しになる状況が近い、と言っているのだが問題はもっともっと大きい、と町山氏は捉えている。
なにが情報なのか?というちがうテーマが見えてくるからだ。受け手によってはただの「日誌」であり、受け手によっては「誰が上げたか」が貴重な情報だったという点。この一例のインパクトは大であり、ただ、その大きさを伝えるだけの尺も体制も番組になかっただけのコトで、アサンジ氏をめぐる数々のエッセンスは完全に啓示的で「映画的」題材に充ちている、と示唆している。
WikiLeaksから「オープンソースとはなにか」という側面で考えても多大だし「正義とはなにか」なんていったらもう広大すぎる。「情報」を流す側、仕切る側、享受する側・・・立場で正義はちがう。
大げさに、文明が次のレベルへ向かうアンチテーゼとしてのアサンジ氏、と捉えることも可能だろう。またはジョブスのように、革命者はいずれ独裁者になるという公式の使い道だってある。放送の通り、犠牲者が出ている十字架をどうするのかというヒューマニズムの側面ももちろん、ある。
アトアト知ったが、取り仕切る側のウィキリークス自体経営は飽くまで「クローズソース」だ。その内部の物語も当然あるはずで、ここにも矛盾と葛藤があり、自伝本からのアプローチだって可能だ。
じっさい「Fifth Estate」という映画に去年なったと、知った。 が、この作品の目線は完全に米国政府側からとらえたソレでヒットしなかったみたい。 どの視点で物語るかで主人公の印象がかわるという好例でもあると思う。
 
で、ね。なんで数ある回からこの放送を選んだかというと、前述の「危機感」が如実だからです。アサンジ氏にしろ、スノーデン氏の問題にしろ日本でははじめこそ報道があれその後とんと見かけません。 STAP細胞の話もワイドショー的にワイドするだろうが、この国の報道では本質に巡り会えないでしょう。
(STAP騒動にまつわる正論はここにリンクしておきます山田五郎氏によるティーチイン。しかし……)
 
この状況は非常に、ヤバいものがあります。
また、こうも想うのです。決して欧米が偉いのかとか、日本がどうとかではなく、人にはそれぞれローカルがある、と。
町山氏も自身が住むアメリカのローカルに触れ、戦っています。
日本が内需で(今までは)済んでしまい激しくガラパゴス・内向化しているように、アメリカもローカルで済んで、外には出ない特殊な営みに満ちている。 で、大切なことは、そんな拡散する世界とローカルを見つめながら、人の本質に素直に感動する姿勢だとボクも想うのです。引いては、自分のローカルをまるで海外を旅するように発見することも、大切な作業にちがいないのだ。
 
この放送(↓)も発見と最後には感動があり、まるで映画そのものだよ。
ホーリーランド。クリスチャンコア。メガチャーチ。地層と聖書。そして、311。