わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

クラウド・アトラスも爆弾

月曜日、ウォシャウスキー姉弟(←戸惑う)&ティクバ「クラウドアトラス」(2012)を観た。 どう書いてイイかわからず、一日経って、ようやく書こうと思いました。 

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クラウドアトラス」。 172分。 3時間弱の映画。
さっそくこの映画を「好き嫌い」ヌキで語ろうとすると、のっけから戸惑うわけだ。
枝葉末節を語ることはできる。ペ・ドゥナがどうした、VFXがどうした、あのプロットはどうだ、と。 しかしそれらはあくまで枝葉であり、この映画の本質を語っていない。
そこで面白いのがこの映画のパンフレット。 珍しくも、800円出して買う価値が充分ある、劇薬なのだ。 なぜならパンフが同様にこの映画の「戸惑い」と「本質」を語っているから。

恩田陸
史上初、本物のジャンルミックス映画。 フィクションとして考えうる、あらゆるものが詰まっている。そして「説明できないからとにかく観て」と誰かに勧める時の「説明できない」幸せを味わって欲しいのである

以上。おしまい。 にしたいくらいの寄稿文です。
この映画は6つのストーリーで、それぞれが6つのジャンルモノで成り立っている。
大航海もの、ヨーロッパデカダンス、社会派スリラー、老年の危機コメディ、ディストピアSF、アフターゼロ・・・恩田陸氏の感想同様、これらを束ねる編集作業は並大抵ではなく、これはその年の編集賞あげてもいいんでないか? と思うくらいだけどプライズレースにはかすりもしなかった本作。
原作が2004年にあり、これが「映像化不可能」と呼ばれる書物とのことだが、むしろ、こういう作品こそ原作が要る、とボクは思う。これがもし映画オリジナルだったとしたら、誰もイメージが掴めないから話を進めようがなかったはずだからだ。一人の作家の手によってアクロバットに完成した原作があるからこそ、こうして映像化された作品と言える。 ・・・。 こういったアウトラインも言える。が、それも本質ではない。
ボクも「とにかく観て」と言いたい。 今回のパンフが劇薬なのは、まさしく「本質」をつっついてしまった人間がいたからなのです。
それが、中沢新一氏による寄稿文。 劇薬である。

中沢新一
この世界は進むのではなく、繰り返すのである。
前に向かっての進歩ではなく、反復が起こるたびに世界はいよいよ成熟し、年老い、朽ちていくのである。
22世紀の中頃には、ネオ・ソウルが物語のどんづまりの反復場所となっている。「クラウドアトラス」が背景としている思想は、じつに大きい


スーパークリティカル。 血しぶき。 劇薬。
この中沢新一氏の「喧嘩上等文」はとにかく素晴らしい全文なので、鑑賞後買ってじっくり読んで頂きたい。 ボクはこの寄稿文に助けられ、今までの3時間の映画体験がようやくクリアになったくらいだ。

この評論の中で中沢氏はクラウド=群衆、アトラス=世界 と注意深く訳しているが、本来のアトラスは「世界を背負う者」だ。
つまりクラウドアトラスとは「群衆と支配者」なのである。
6つのストーリーで、誰が誰を支配しているかを追うとその意味はより明確になる。 
2時間40分強観たアトの、トムハンクスに用意された最後の科白にボクもぐっと来て泣けてくるのだが、グッとくると同時に「でもそこかぃ・・・」という途方もない、違う意味での涙目にもなるのである。 1800年代に用意された「しずくがいつか海になる」も場所によっては乾いてただの蒸気にもなる情けない決めぜりふだったし、その海が22世紀ではネオソウルを沈めている、とも言える。
文字通り、背景としている思想は実に大きい。アフターゼロなんて放射能が充満した地球の話だ。未来のハルベリーは「欲望」について言っている。 半減期2万年はそれほど罪深いものなのだと暗に言っているようだ。
そうするとクラウドアトラス6重奏ってどこにいったの? とちゃんと見抜ける。し、ぶっちゃけると

6つの結末をもってしても「支配」から抜けてないよね?

とちゃんと見渡せる実に怖い映画でもあり、こわい評論が中沢氏の寄稿文だった。

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たぶんこっち側の「クラウド/アトラス」議論こそが、この映画の狙いですらある。
ゆえに、「好き嫌い」なんてぶっとんで然るべきなのだ。 ウォシャウスキー姉弟はなんらブレてない。 3時間と長いが、多くの人に見て頂きたい。
その際は、今回だけはパンフを買うことも忘れずに。