わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

弘田三枝子 「マイ・メモリィ」

先日喫茶店でとんかつを食べていたら有線から弘田三枝子の「人形の家」がかかった。



「あ。人形の家だ」


などと思っていると、隣のおっちゃんが口ずさみながらも、首を傾げています。
そして店員さんに、


「ねえお姉ちゃん、この曲名、マスターから聞いて。」 と声をかける。


すかさず厨房の奥から、「人形の家」と声がする。
「あーそうだ! 誰が唄ってたっけ?」 とおっちゃん。
「えーっとね、弘田・・・・・・・・・ミ・・・・・・エ・・・?」と厨房から。


僕はこのやりとりを聞きながら、飛び入りしたくてうずうずしていました。
「いやー! 弘田三枝子、いいっすよね!」
と話しかけたところであまり発展しないかも知れないと思い、とんかつをポクポク食べてました。



弘田三枝子。この人は70年代の抜群に飛び抜けたディーバだったと思う。
同時代は和田アキコや吉田美奈子、ポップ界では山口百恵渡辺真知子などがもちろんいた。でも僕の中じゃぶっちぎりで、弘田三枝子だ。
彼女こそ70年代ディーバだと思う。なぜなら彼女の、活動休止直前(70年代終盤のこと)のシングル「マイ・メモリィ」(’77)が素晴らしすぎるから。
僕はこの曲を超える歌謡曲をいまだ知らない。
もしこのテイストで「もっと上のがあるよ」というなら是非教えて欲しいくらいだ。


「マイ・メモリィ」


これまた出自が映画のサントラなのですよ。それも深作欣二の「ドーベルマン刑事」。
10年くらい前深夜放映していたのを見て、ジャネット八田が唄っていた曲が忘れられず、ビデオで再度借りてみることになる。
「へー。ヒロタミエコって人が歌ってるのかぁ。 いい曲だなぁ」。
それから数年「ドーベルマン刑事」のサントラを探すもあるわけがなく(また主題歌もいい!)、やっと彼女のベスト盤で再会を果たすのです。

弘田さんはもちろん今でも活躍されているので、失礼があってはいけないのですが、僕が察するに、当時、キャリアの全盛期にヒット曲に恵まれなかった「不遇のディーバ」だったのだと思っています。 もちろんコニー・フランシスのカバーや、「人形の家」というヒット曲はありますが、その飛び抜けた歌唱力を使い切るだけの曲や体制に恵まれなかったのではなかろうか、と勝手に推測してしまうのだ。

そして彼女はおそらく芸能界の紆余曲折の後、女盛りの30代にさしかかった1977年に、この曲「マイ・メモリィ」を作詞・作曲します。僕は彼女が作曲も出がけた曲を他に知りません。
劇中音楽としての指示はあったでしょう。 しかしおそらくボーカリストとして、当時もっとも自分の好きなテイストに固執して、もっとも自分に近い心情を歌いあげた曲ではないだろうか、とも思うのです。


「マイ・メモリィ」。
これが本当にイイ。 弘田三枝子、渾身の打ち上げ花火。


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Youtubeにも視聴にもどこにもない。興味ある人はベスト盤を購入して下さい。
これをレディソウル、と言わずしてどうする。
いずれにせよ彼女はこのシングルの後、しばらく活動を休止するのだった。







追伸:
こんな渾身のレディソウルを掬い取るアタリ、深作欣二は本当に只者じゃないと思う。
脂の乗り切った映画作家だからこそ、このディーバとの魂の交歓が可能だったとも言えるはずだ。 だって画も音楽もその瞬間、最高にシビれるのだから。タランティーノ修羅雪姫のサントラなど諸々パクリましたが、そういった憧憬はよくわかります。