わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

接店員マニュアルと海外の話

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別に今書く必要もないながら、最近もふと遭遇したのでココを書こうと思った。
接客ならぬ、接・店員のわがルールを。
今日のトピックは接店員。


これは欧米スタイルというか、欧米では一般的で私も取り入れていること。それは、



合わせ鏡にする



ということね。
店員の態度が悪ければ、こっちも悪い客を演じる。無愛想には、無愛想で返す。
反対に、向こうが礼を尽くせば、こっちも礼を尽くして対応したい。客人として。
とくに飲食店やコンビニでは、私はこの「合わせ鏡」を守ることにしてる。

それはなぜかというと
ひとつには自分がラクだからです。
で、もう一つがメインの話だが、横柄に接客する店員に限って、客のマナーにも敏感だから。
これは反語的表現だが、そういう店員には、


とことんネガティブになって頂きたい


そう想うわけだからです。
ある意味で「気づきの機会」を提供する。が、そのヒト自身の、接客発信からきている現象だということに、そういう人は往々にして(自己チューで)気づいていない。だから私を単に「愛想のない失礼な客」「これだから昭和生まれはよ!」などと誤認するだろう。
で、それでいい。
そうしてねじ曲がってどんどんネガな店員・だめなヒトになってもらいたい。
そんなしめやかな願いもこめ(笑)、そうしている。世界というものは相対的な代物で、本当に自分が「どう見ているか」で如何様にも「どう見られるか」が変わっていくからだ。
もっと言えば、みんな大好き引き寄せの法則などスピリチュアル思想を持ち出すまでもなく、実際の力学そのものに想う。

世界は自分がどう見るかで見られ方は変わる。
ラーメン屋であれコンビニであれ一つの外の世界だ。





この不文律は海外の「住人」なら肌身で知っていることだろう。とくに欧米はチップ文化だ。
態度を態度で現すことに慣れている。レジをまたいで客と店員は対等なんだよね。

対して「旅行者」。
それも受け身の初心者だと、その母国の常識にどっぷり浸かって旅先に出てしまう人々も多い。
だから魅力に気づかない・気づけない(で旅を終える者も多い)。この旅先でのバッドエモーションもまさに接・店員マニュアルの《店員側》と同義なんだわ。


「なに!? あの態度失礼な!」
「これだから、この国は!」


などと海外の旅先であなたが感じたとしよう。
そのときは、まず自分の行いを疑ってみることを私は薦める。


たとえば。
貴方の英語力なんて誰もかまっちゃいない。
自分の拙すぎる英語力に勝手に甘えて、もしバーガーキングで精いっぱい単語を並べたとしよう。



店員「なににしましょうか?」

旅行者「バーガー。あとコーラ、いっこ」

店員「ほらよ」



となるのが常だ。が、考えてもみてほしい。
少しでも考えればわかるから。そりゃそうだろと。
ぶっきら棒に放れば、ぶっきら棒な反応がかえってくるだけだろうに。日本が特殊なだけ
それにだ。いくら頭の中では血の通った文章が完成してても、オモテにでてんのはその、拙い英単語の羅列なんだぜ? そこを汲み取れってのが日本人の虫のよすぎる、甘ちゃんでだめな奇習なんだっての。言っておくがこれは私の実体験である。
私は試しに、Would you や Can I にしてみた。



店員「なににしましょうか?」

旅行者「もしよければバーガー一つとコーラを頂きたいんだけど」

店員「もちろんです。他になにか要りようですか?」(with Smile)



となった。
ココで私は気づいた。なるほどね、と。
他でも何度か試してみたが、まさにこの通りだった。ちなみにこれはロンドンでのエピソード。
実はこのポイント=相手を容れること=に気づけるかどうか。この点が、海外体験の第一の関門であるとすら私は想っている。(・・いや、日本に居ても難関だろうよ「ラーメン屋であれコンビニであれ一つの外の世界だ」から。)

気づかない輩は一生、これだから▇▇は! とクダを巻くことになるだろう。
そんで国粋主義にでも走るのだろうか。可哀想に。そういう人は短時間で旅先を勝手に判断して引き上げることになる。要するに「相手も自分も見えないまま」プンスカして終わるんだよね。それはもったいないにも程がある、と私は想うよ。まずは自分の行いを疑ってみて損はない。どう見えていたか? ということを。

で、そのあとだ。プンスカするなら。
ちゃんと自分の行いを鋭くチェックし、それでもプンスカ可能なら大いにすればいいと私は想う。この自己チェックの足らない人・負けない奴が多い。



さてそんなわけで「接・店員マニュアル」に戻る。
つまるところ、その相対的学びを日本で逆の立場・客側から(慎ましい範囲で)行なっているわけだ。言っちゃえば店のレスペクト具合を視る。まあそのルールのためにも初動はSmileメに入るけれども。

むろんこの日本という国は普通に横柄な「客」も跋扈(ばっこ)している。予め消費者の、何様がね。だから私の態度もそんな日本ウェイな、横柄な客の様に映るかもしれない。それに店員側は通常先んじて不利だ。フェアじゃないってのもよくわかる。

が、私は意識して使い分けてるよ、ということ。
飽くまで反応で返すリアクション。店員の態度で変えてゆく。

それも、言っちゃえば、相手のためさ。
これもひとつの愛のムチ。早くこの鏡に気づけよー、チミ受け身になっとるよ?、ね。きわめて日本的に背中で語ってるわけよー(ああなんて優しい男だらう!w うるさい?)



以上、接・店員マニュアルの巻。
小声で言いたいが、実は「おしごと」もそうよね、心情的には。礼を尽くして相談されたらこちらも礼を尽くしたいし、技術を結集しようとするでしょう。対して横柄な・・・これ以上は言うまい。

ともあれどんな立場であれ、「海外旅行受け身初心者」的思考で自身の「ご都合」のみを語るとき、相手サイドがどう判断しているかは意識した方が賢明に想う。
すべては「対話」であり、他者へのレスペクトから「外交」ははじまるものだろう。
お気付きの通り今日は、接店員マニュアルを越えた、人の持つ自意識と気づきの話でした




 


追伸エピソード集。
EP1:とある日ピザ屋のオーダーでの話。「宅配お願いしたいんですけど」とオレ。おそらくすげー忙しかったんだろう。電話越しで受付ねーちゃんはのっけから無愛想で「処理」しようとする言動が続いた。なのでオレは「あ? Mだよ。ハンドトスな。んでコーラ。いくらだよ」と明らかに態度をかえた。そしたら電話越しの表情がかわったよね。そういうもんなんだよ

EP2:つい先日。日曜日にチャイムが鳴った。ご主人屋根の補修時期じゃないですか。しつこいから玄関にでる。「まあ、じゃ名刺頂けますか?」とその年上のおじさんに言ったところ、持ってない。「お前営業だろ、名刺持たず飛び込みにきたのかよ」とちゃんと言ってやった。そしたら後日丁重に持ってきたよね(べつによかったのに)。だがそういうことである

EP3:30過ぎ都心に住んでた頃、よく行くコンビニで外国人の店員にレジでブチギレたこともある。
「いいかこの国じゃツリ渡したら終わりじゃねえ。おまえ一度でもオレにありがとうございましたって言ったことあんのかよ」ってね。(笑。めちゃ核心でしょ)そしたら彼、あわあわしてたよね。
ナニ人かはここでは伏せるが、これも愛のムチ。
大切なのは「この国では」って点ね。(オレをなめんなよ? もむろん含むがそれもコミでエネルギーの「合わせ鏡」さ)
外に行くと外の掟があるようなもの。それを伝えたに過ぎない。同時に私たちも海外に出た際はそんな批評と、その国特有の常識に晒されている。郷にいれば、とはよく言ったものなのだ