今年の自分10大ニュース。
そのなかに、これがある。
宮沢賢治の「なめとこ山の熊」に触れたこと
なんとうつくしい話だろうか
青空文庫にも(ふつうに)あるから興味があれば、ぜひ触れてほしい(※ここに。)
とある朗読の会で私はこの話に触れた。
なんだろう、この感覚を・・・
わかってもらえるだろうか———
刃物のような物語というものが、この世にはある。久しぶりにそれに触れてしまった、という感覚。
しかも宮沢賢治でこの感覚に遭遇したのは三度目のことなのだ。
むろん「銀河鉄道の夜」を挙げよう。
そしてこの「なめとこ山の熊」。そしてもう一つは「竜と詩人」である
「なめとこ山の熊」と「竜と詩人」。
この二篇は別格だ。
自動書記にちかい。完全に作家の電波がはるか地上の果てか地底の奥底か、とにかく真空の冴えざえした場所と交信している。この双璧に比べれば、銀河鉄道の夜はすこし可愛げがあるとすら想う。
しかし遭遇しただけで《もう三つもある》ということ自体が、とんでもなく驚異の作家だと改めて想う。そう思わせる「なめとこ山の熊」という体験だった。子供向けの童話? 冗談じゃない
本当にわかってもらえるといいんだが・・、
この殺気の種族・・ぜひ読んでほしい
うまく言えない。が、とにかくそれはレアメタルのように少ない
同口径の殺気にみちた代物が、この詩である。以前掲載したが、再掲する
荒涼の 象の墓なる
谷ありて
我は ひとりの
象牙とりなる
(村上一郎)
どなたか
知っていたら私におしえてほしいです、
このような殺気に満ちた話を。寓話を。詩を。
(タイトルは宮沢賢治「やまなし」より。小学校2年くらいの教科書だよね。でね、「クラムボンは死んだよ」と続くんだ。こわいよな、平気で書くんだわそれを・・・)
絵本。これも今年買いました