わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

「コミュ障のメディア」(悶々と5千字)

テレビ。実は、我が家には地上波が映らない。
それもデジタルになって数年たったある日から。(それも、ずいぶん前のはなしだ)
電波障害地域らしく、地域の共同アンテナが分配されて信号が送られていたがデジタルになって何年かすると、そのアンテナの胴元であったケーブル局が分配を停めると宣言してきた。
つまりこれ以降は「加入せよ」ということだ。
それまで何度か「停めますよ」の催促はあった。が、停まらなかったのでそのままにしておいた。
しかしXデーは来るものだ。
我が家のチャイムが鳴った。
出ると、ケーブルテレビの人がいる。「加入されてないんで、共同分配、撤収しますね?」
そして、オレ。


ああ上等だ こちとらテレビなんぞ観ねえからな?
やってくれやってくれ! おおーおお!
ちょうどいいや これで清々するわい!




ああ神様。どうか。どうか撤収しないで。。
完全な強がり With 血涙 である。とにかく障害地域だからって、オレはシャクだったのだ。
しかしものの数分でサクッと分配が撤収されると、なにも映らないTVだけが我が家に残った。

その静けさたるや。
いまだその寂寥感のなかにある。まあDVDも観れるしブルーレイもあるぞ?(強がり)

いいのだ。
日本代表戦など誰が一人で観れる代物か。あ、知ってる? ユーチューブっていうネットのサービスもあってね? あ、これも知ってるかなぁ? HULUだのネットフリックスってのもあるみたいだよ! Radikoもいいねー。素晴らしい。ラジオが面白いよ!


という、長ーい前置き。



ひきつづきテレビの話をしたい。
つまりは、オレにテレビを語らせるとうるさいという話をひきつづき(期間限定で)したい。
たまに実家やら車の1セグなどで(地上波を)目撃すると、ことごとく、驚くのだ。

①なんだろう、このつまらなさは!

②なんだろう、この演技のひどさは!

③なんだろう、このCMのリッチさは!

 
と、驚くんだ。

むろん業界に知り合いは多く、去年も(大変苦しみながら)番組のイチコーナーにも携わった。
現場へのレスペクトも当然ある。あるが、飽くまで個人が目撃した際の感慨を綴らせてもらう。
引いてはなぜテレビが他のネットサービスにシェアを譲り続けるのかということにも繋がるだろう。
とにかく最近自分が所有する悶悶を、吐き出してしまいたい。
そこで、③つのトピックにして吠える。


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①「つまらなさ」はおもにバラエティである。
「ひな壇」はさすがに減ってきたが、壇が平たくなっただけだ。どうでもいいトピックで、どうでもよくスタジオが空騒ぎしている。
これの何が面白いんだ?
そうやって無感動に眺めているのも「なんかジジイみてえだな」と思うが、仕方ない。
だって、まじでつまらないんだもん。

で、たまに面白いバラエティがあったとしよう。
そうだな、たとえば「しくじり先生」。こんな素敵な企画であれ、もうだめだ。
しくじりを告白する側が(長蛇の列を作って)アテにきているようにしか見えず、白けるだけだ。
(そう、皆さんのご推測のとおり。森脇健児の回を少しだけ見てどっチラけた)
この特番は生徒達が先生(ゲスト)の高慢を笑い飛ばして進行していくが、前回では気を遣ってゲストに「同情」。さらにはゲストが先輩で、立場上「合わせ」ていた。それも授業のはじめっから最後まで。
——そんなの観て、なにが面白いんだ? 人気企画とわかると、我先にと押し寄せ、バランスを崩す。
この何とも言えない、やり切れなさにオチも気にならない。カーラジオにチャンネルを変えたよ。


②「演技のひどさ」

これがオレとしてはもっとも深刻に思う。
テレビドラマを見かけると、

「この下手クソが!」

と吠えてしまうのだ。
この前も車の中でワンセグって見てたところ、
ファックファック!
 そおじゃねえ、この下手クソがあ!

とファッキング構文をシャウトしながら、アクセルを踏んでいた。
なのでホント精神衛生上、道路交通上よくない。

誰とも、どのドラマとも言わんが、あのね、まずもって下手な芝居が多すぎることが問題だ。
そしてみんなそれを「影で言う」しかないところに闇が深いと思う。
なぜなんだ?と本当に思う。
こんなに多くの人が俳優になりたかったり目指したりするなかで、その挙げ句、トップであろうテレビに映る演技がくそだとしたら? なんなんだ? と思うよフツーに。
(なにを持ってくそとするかに万人の開きがあろうが、ひとつの基準を後述する。)
そして、これはサッカー等とも一緒で、もう考え方や練習方法から違うんじゃないか?
演技ってモノ自体を根本的に間違ってるんじゃないか? おい!? と思うからイライラするわけ。

で、その源泉でもあるが、脚本がしょぼいことから起因する、演技のひどさも、ある。
セリフや動作、その連続におけるキャラクター(人物)とストーリー(運び)のことである。
どうやってもつまらないセリフってのが存在するし、多すぎる。
でも、それ以上に欠けているのが、

相手を動かそうとする意志 だ。


ドラマを見てくれ。で、会話を聞いてみて。
相手を動かそうとしない「ひとりぜりふ」「場をつなぐのみのせりふ」と化した、しめった埃のようなセリフのなんと多いことか!

よく脚本上のDISの対象として「説明ゼリフ」というものがある。説明に終始している「都合」満載のセリフのことだ。がしかし、俳優が感情をのせることのできないセリフの方が、説明ゼリフ以上に多いと感じる。説明ゼリフなんてものは、その「感情ののらない」セリフ群のイチ形態でしかない。

しかし。もっと言うが、
その「感情」という命題で思考停止しちゃうのが甘ちゃんの片落ちなんだぜ?

じゃ、俳優は自分の感情を(きもちよーく)吐露すればそれでいいのか?
まったく違う!
本当に問題なのは演技者同士、ひいては演出もまじって、相手を動かそうという意識がないことだ。
もうこれは日本ドラマの病理だと思う。なぜつまらないかのひとつの根源だ。

ためしに、だよ。
台所の主婦よろしく、ラジオ状態にして、今の民放ドラマを聴いてごらん
で、その際、こういう問いをたてながら聴いてみるといい。



このセリフは相手を動かそうとしてるか?
相手をどうしたくて発せられているのか?



こう問うだけで充分だ。



どうだった?

たぶんあなたは、制作サイドすらその点を意識してないことに気付くだろう。
いわんや、俳優をや。
相手を動かそうとして発している?
いないでしょ? 自分で(勝手に)納得してそうでしょ?

大事なので繰り返す。
自分で勝手に納得してるだろ? そこに自分のセリフがあるから口にしてそうだろ?
ラジオ状態だとよくわかる。
相手を動かそうとしてるのか?——なにも伝わってこないと。

いわんや、脚本をや。あんたの脚本はどーなってんだ?って。ドラマの定型句・様式美ばかりだ。
脚本には「芝居場」というものがあるが、だとするといよいよだ。「ここからが見せ場でっせー?」が定型的にあったとして、第一に脚本家の狙いが(仮にちゃんと)あったとして、でもいい。
それでも何重にも(劣化)フィルターがかかって俳優がやるときには、俳優の中にもそのアタマがないから自己完結&自己感傷のみでセリフが吐かれ、演出も全く監視してないなら、はい、おしまい。



この、クソがぁあぁあ!



ブラウン管に向かって吠えちゃうよ。だから見ない。それで、どうなんだよ?ってこと。
とにかくラジオ状態にして耳をすますだけで、その文化的弱さは伝わる。


「見応えのあるドラマ」ってのがあったとする。
そこにはおしなべて、対決があるはずだ。

でも「対決」ってどういうことだよ?

少し考えればわかるだろうに。
べつにアクションや格闘技を差していない。

ラジオ状態にしていても、対決になると目がいくだろう。テレビを観たいと想うんだよ。
いいかい、見応えとはそういうことだ。

同時に「なんてことない」シーンでも見応えは作れる。いや。作る努力をしなさいってんだわ。
その連続が「目が離せない」という見応えにつながる。



③「リッチ」!

CMは相当リッチである。笑
オレのようにテレビを観れない人にとって、CMはまばゆく輝いて、相当リッチに映る。
久方ぶりに味わうCMは言うなれば、地方の田舎から表参道に来たくらい、ガチあがりだ。
あるいは、地方局の地方CMに慣れてて、いきなり全国区のCMにドーンと触れてごらん。
とにかく、そんな感慨である。地上波の全国区CMは、華やかでリッチである。


なんだけど。


もはや、このエントリーは愚痴テイスト満載なので、もう、せっかくである。
影で思ってることにスポットライトを当て、ちょっと告白しよう。
オレが最近見かけ、評価できなかったCM、もっと言うとちょっとむかついたCMがある。それは、


LINEの、のんさんCM


である。
巷では、名作に数えられているらしい。とかく、評価の高いCMだ。
キリンジの「エイリアンズ」をバックに、のんがひたすら佇んでいるCMだ。
彼女の透明感、曲の素晴らしさ、ということだが、申し訳ないが、


座組みしか見えてこない


というのが、オレの見解だ。
まずキリンジの「エイリアンズ」を選ぶところが、頂けない。なぜなら名曲だから。
ほっといても名曲。そんな曲をあてる、この根性がオレは解せない。
それと、のんさん。ここもひとつ、正直に言おう。申し訳ないが、普通に


時間に耐えてない


耐えてると思う人ぉ?
まじすか? オレはそうは思えない。
たけし監督だったと思うが「黙って画面に5秒たえる役者は少ないよ」と言っていたのを想い出す。
ただでさえ静止画とちがうのだ。
見つめ続けるという行為では、その奥の動機はすぐ枯渇する
それくらい一点をみつめ、そのエモーションを更新し続けることは、技術的にも本当に難しい。

で、普通に耐えてない。

このCM見てそわそわしないの、みんな?
オレはもう、ちょっと、早く切ってくれ! と思ったよ。
見つめるために、見つめてる。何回も感情が「切れて」いる。こっちがそわそわする。

でもこれは、のんさんが悪いのだろうか? ちがうだろう
その奥で、企画と演出がどうしていたのかが問題である。

もう、のんさんがスタジオに着いた時点で、やることは決まっている。変更点はない。
のんという業界の【異邦人がたたずむ/エイリアンズが流れる/情報イッパツ/これで勝つ】ということだ。
しかし、その魂胆が視聴者の私から透けて見えている。そこで、演出者はどうしたんだろう?
この最もむずかしい「一点をみつめたたずみ【続ける】」という俳優の課題に対して、どれくらい、何を、用意して臨んだのだろう? オレはそこがわからない。だからこういう感慨になるのだ。


座組みしか見えてこない


コレとコレ掛け合わせれば勝ち(価値)なんで?
CMなんてそんなもんすから? 座組みで決まりっすから?
いや、ちがうでしょ。
このレベルを考える人たちなんだから、そうは想ってないはずだ。

でも座組みしか見えない。ここに思考停止の闇を感じる。野心作であれ座組みしか見えてこない。
②の演技論でも言ったが、なにかが決定的に欠けているんだと思う。


それは、【対話】だろう。


たとえばLINEのCMはよさ「」には映る。きわめて、よさ「」だ。
しかしよさげなだけで【どうしたいか】が見えない。一見、見せてる風味だから違和感がのこるのだ。
黙ってないで、しゃべらせたらどうだろう?、のんに。きわめてコミュ障な性格を有するCMなのだ。そのコミュ障感がすなわちLINEだよ、という所までオチてるのだろうか?(だとしたら、気が利きすぎてるが)

それに②のドラマの俳優の演技。
一見よさ「ゲ」な芝居がつづく。でもその場をどうしたいのか、【内なる課題】は見えない。
ああそうか!このドラマ自体に【課題がない】のかっ!みたいな。【どうしたいか】だったり【内なる課題】の欠如ーー。それらはつまり、こういうことだろう。



対話のない、コミュ障なメディア。



そこに向かってテレビはひた走ってはいないだろうか?
関係者(というか私)は自問すべきだろう。
それこそ影響を与え相手を動かそう、と意志を持ちながら。





こうしてモノを考えていくと、辛気くさくなりがちだ。力学がシリアスに向かう。
が、それも表現者や俳優の罹るわるいクセだ。
辛気くさく、シリアスなら真実?
仏頂面でけわしく思考すればそれでいい?
うそだよ、そんなの。そんなの内側に向いてて、芸がない。気をつけよう。

OK。わかってるよ。愚痴はブーメランだ。それに優雅で外的なリア充ならこんなヒマもないだろう。
が、こうも言える。言語化して進め、とね。   【期間限定掲載の予定】