ココロを亡くすと書いて、
忙
うまいことを言う。いや、ちがう
ココロを亡くすと書いて、
忘
ほほほ。うまいのぉ。つまり、要するに、
忙しいウチにいつのまにか忘れ去って亡くしてしまうのが、
心
というわけだ。
ほほほ。うまいかもしれんが、嬉しくも何ともない。
また両方とも「ボウ」と読むのがまた、気にもなるね
いま、自分は繁忙サーキットのなかにある。
ここ2ヶ月心を亡くす思いで、ぶっちゃけ忙しすぎて、シゴトなるものしかしてない気がする。
ほとんどヒトにすら会えていない。このことは暮れに先述したとおり、けっこうクル。
それでも何十年も生きてきて、シゴトとカタカナで書くほど、何のことかよく分かってないのだが。
まあ、ひとことで言うと、
ハワイに逃亡したい
こういうときはハワイだろう。シゴトの骨休めはバカンスと相場は決まっている。
一度しか行ったことないけど。
ここにひとつ人生の指針が、ある。
はじまりがあれば、いつか、終わる。
ということだ。どんなに泣いても、騒いでも、
時間がくれば、終わってゆく。むろんそれまでに、手がけないとおわれないのだが。
それとて、3年もすれば、
「そういや、そんなこともあったなぁ・・・」などとのど元のノドゴシすら忘れるものだ
ふしぎだ。
このことは、いつも思うことだが、とてもふしぎだ。
ヒトは忘れるのだ。
わるいことばかりでは亡い。
むろん、いいことも過ぎ去って忘れてゆくのだが。 おっと、すまん。
トゥーシャイなことを言うつもりでもないのだが、なんたって心に隙(すき)がないのでな。
とかく了見が狭いのだ。ココロが狭まると、どうしても考えも狭くなる。ゆとらないのだ
それがこういう時期の特徴でアリ、じつにいやな現象である。
とにかく、忙しいというやつだ。 それにつつまれている
まああとちょいだ。 それも、じき終わる。
じきに終わったら、ヒトに会おう